◼︎2007年
夏になると戦争の報道が多くなりますが、特攻隊のドラマを見て、ふと、わたしの叔父さんも予科練で特攻隊で戦死したということを思いだしました。
なにげなく、インターネットで「椿 昇」という名前を検索してみると、特攻戦死者名簿にその名前を見つけました。
昭和20年3月27日
神風特別攻撃隊 菊水部隊 第二彗星隊 喜界島基地発 沖縄本島周辺機動部隊攻撃
聯合艦隊告示155号
操縦 少尉 谷 節夫 (和歌山・予備学13期) 攻撃103飛行隊
偵察 一飛曹 椿 昇 (茨城・甲飛11期)
戦後遺族にはもちろん知らされていたことだと思いますが、その遺族も亡くなり、喜界島から出発し沖縄戦で戦死したことなどを初めて知りました。
さらに、甲飛11期ということを調べてみると、昭和17年に16,17才で土浦海軍航空隊に入隊した585名であること、艦隊艦務実習の為、戦艦陸奥・
長門・扶桑に分かれて乗艦した同期生のうち124名が昭和18年6月8日に陸奥と共に爆沈したことがわかりました。
残る同期生は予科練卒業後、各戦闘航空隊に配属となり比島・台湾・南洋・沖縄本島・本土防衛の各航空戦、及び神風特別攻撃隊院としてたたかい、
終戦までに237名が戦死したそうです。
そして、生存同期生及び遺族が戦艦陸奥が沈んだ海をのぞむ周防大島の陸奥公園に「若鷲の碑」を建立し、同期生全員の氏名を刻んだということが
わかりました。
またそのころ偶然、吉村昭さんの「陸奥爆沈」という本を知り、沈没原因が謎であること、一般には秘匿にされていたことなどを知りました。
周防大島の陸奥記念館を訪れました。
「みかんの島」である周防大島は、海のきれいなおだやかな島でした。
陸奥記念館は、愛媛県寄りの端の方にあり、陸奥公園からは江田島方向の海が見えます。